「網を広く張る」B2Bマーケの限界
展示会に出展し、SEOコンテンツを増やし、Web広告を回し続ける。多くのB2B企業が採用するこのアプローチは、確かにリードを増やす。しかし集まったリードの大半が、自社のソリューションとまったく関係のない業種・規模・課題を持つ企業からの問い合わせになってはいないだろうか。
特に製造業や商社のB2Bにおいては、「誰でもいい顧客」はそもそも存在しない。長期的なパートナーシップが前提の取引構造において、受注できたとしても成果を出せない顧客は双方にとって不幸になる。取引先の「質」こそが事業継続の根幹だ。
ABM(Account Based Marketing:アカウントベースドマーケティング)の基本思想はシンプルだ。「魚がいない海で網を張るな、魚がいる場所に釣り糸を垂らせ」——あらかじめ狙うべき企業(アカウント)を定め、そのアカウントに集中してリソースを投下する。量ではなく質の戦略だ。
本稿では、ABMの概念と3つのアプローチ、製造業・商社のB2Bへの適合性、実践の4ステップ、ICP(理想顧客プロファイル)の定義方法、そして日本企業が取るべき現実的な始め方を解説する。
ABMとは何か:3つのアプローチ
ABMは一つの手法ではなく、ターゲットの規模と投下リソースに応じた3つのアプローチに分かれる。この3階層を理解することが、ABM戦略設計の第一歩だ。
図1:ABMの3階層アプローチ(Wing作成)
日本の製造業・商社における新規開拓には、1:Few(ABM Lite)またはStrategic ABMが最も効果的だ。大量リードを処理するインフラが整っていない状況では、絞り込んだターゲットに深く関与する方が投資対効果は高い。Programmatic ABMは、1:FewのABMで成果が出た後の拡張フェーズとして検討すればよい。
なぜ製造業・商社のB2BにABMが向いているか
ABMが製造業・商社のB2Bに特に向いている理由は、この業界特有の取引構造にある。
第一に、取引単価が高く意思決定期間が長い。数百万〜数億円規模の取引において、購買は複数の関与者が数ヶ月にわたって検討を続ける。この構造では、不特定多数に薄くアプローチするよりも、特定アカウントの複数の関与者に継続的に接触し続ける方が合理的だ。
第二に、意思決定者が複数存在する。製造業の設備投資であれば、現場エンジニア・購買部・IT部門・経営層が関与する。商社の新規仕入れ先選定であれば、担当バイヤー・品質管理・経営企画が絡む。ABMは、このマルチステークホルダー構造を前提に、それぞれへのアプローチを設計できる。
第三に、新規開拓の従来手法が機能しにくくなっている。展示会・紹介ルートに依存してきた多くの企業が、コロナ禍以降にその限界を感じている。一方でWeb広告・SEOでの大量リード獲得は、業界特化型の商材では効率が悪い。ABMはその中間解として機能する。
さらに、ABMは新規獲得だけでなく既存顧客の深耕にも有効だ。既存取引先に対して、追加の製品・サービスを提案するクロスセル・アップセルの文脈でも、アカウント単位でのアプローチ設計は機能する。「既存顧客の解約防止とLTV向上」という課題を抱える企業にとっても、ABMの考え方は応用できる。
ABM実践の4ステップ
ABMを実践するプロセスは、以下の4ステップに整理できる。各ステップの詳細を順に見ていこう。
図2:ABM実践の4ステップ(Wing作成)
STEP1のターゲットアカウント選定が全ての起点だ。「狙うべき会社」が曖昧なままでは、後続のステップが全て空振りになる。ここに最も時間をかけるべきだ。
STEP2の意思決定者特定では、日本企業の場合に注意が必要だ。LinkedInの普及率が欧米と比べて低いため、展示会参加者リスト・業界誌・プレスリリース・OB/OAネットワークなど複数の情報ソースを組み合わせて調査する必要がある。
STEP4の測定では、ABMにおける指標がリード数ではなくアカウント単位のエンゲージメントになる点が重要だ。「このアカウントからWebサイトへのアクセスが増えた」「役員からメールの返信があった」「展示会で名刺交換できた」といった接触の積み重ねをスコア化して追跡する。
ICP(理想顧客プロファイル)の作り方
ABMの成否を分けるのは、ICP(Ideal Customer Profile:理想顧客プロファイル)の精度だ。ICPとは「自社が最も成果を出せる顧客の特徴を定義したプロファイル」だ。「売りたい顧客」ではなく「成功させられる顧客」を定義するのがポイントだ。
ICPを作るための最も効果的な方法は、既存の優良顧客3〜5社の共通点を洗い出すことだ。以下の観点で分析する。
図3:ICP定義のための5つの分析軸(Wing作成)
Wing Consultingの場合を例に挙げると、ICPの典型例は「貿易DX・化学品コンプライアンス対応を経営課題として抱える、売上100億〜1,000億円規模の専門商社または製造業(化学・電子材料・自動車部品)」となる。このプロファイルに当てはまる企業は、Wing Consultingのソリューション(貿易業務自動化・HSコード管理・PFAS規制対応)によって具体的な成果を出せる可能性が高い。
ICPを定義したら、そこからターゲットアカウントリストを作成する。日本国内であれば、帝国データバンク・東京商工リサーチ・業界団体の会員名簿・展示会出展者リストなどを活用して、ICPに合致する企業を100〜200社程度ピックアップし、優先度を付けて絞り込む。
ABMツールの概要と日本での現実
ABMの文脈では、6sense・Demandbase・RollWorksなど専用ツールが海外では普及している。これらのツールはインテントデータ(企業がどのキーワードを検索しているかを示す購買意図シグナル)をもとに、今まさに購買を検討している企業を特定する機能を持つ。
しかし現実として、これらのツールの日本語対応は限定的だ。インテントデータのカバレッジも日本市場では薄く、数百万円単位の年間ライセンスを払っても期待したROIが得られないケースが多い。
日本企業にとって現実的な出発点は、以下の3ツールの組み合わせだ。
図4:日本企業のABM推奨ツールスタック(Wing作成)
ただし、ツールの前に強調したいことがある。ABMの第一歩はツール導入ではなく、「ターゲットリストの作成とカスタムアプローチの実行」だ。Excelでターゲット100社をリストアップし、各社に合わせたメール文面・提案資料を用意して営業がアプローチを始める——これだけでもABMは始められる。ツールは成果が見えてきてから拡張すればよい。
ABMはマーケと営業の共同作業
ABMが失敗する最大の理由は、マーケが一人でやろうとすることだ。従来のマーケティングは「リードを生成して営業に渡す」という分業モデルだったが、ABMはそのモデルを根本的に変える。
ABMでは、「このアカウントに入りたい」「このキーパーソンと接点を作りたい」という営業の意図をマーケが受け取り、コンテンツ・チャネル・タイミングを設計する。逆にマーケが「このアカウントのWebエンゲージメントが高まっている」というシグナルを営業に渡し、訪問のタイミングを教える。この双方向のループがABMの本質だ。
Wing Consultingでは、コンサルティング営業の実践においてこのアプローチを取っている。ターゲットアカウントを業種・課題軸で絞り込み、業界レポート・ブログコンテンツ・ウェビナーを通じた認知形成と、LinkedInや業界イベントでの直接接点づくりを組み合わせる。「マーケがリードを作り、営業が受け取る」ではなく、「マーケと営業が同じアカウントに対して並行してアプローチする」構造だ。
ABMの導入を検討する際、最初に取り組むべきは「営業とマーケが同じターゲットリストを見ながら話し合う」という場を作ることだ。どのアカウントを優先するか、そのアカウントのどのキーパーソンに接触したいか、現在の関係性はどうか——この対話なくして、ABMは始まらない。
B2Bマーケティングの主戦場は、量から質へと移行している。製造業・商社において「正しい会社」に「正しいメッセージ」を「正しいタイミング」で届けるABMの考え方は、今後ますます重要性を増す戦略だ。